道場の歴史〜テント編〜

誰が最初に言ったのか、「札幌大サーカス」。もちろんサーカスなどしているわけが無い。札大弓道部の歴史は、この札大サーカスを抜いて語ることはできないでしょう。
部を作った当時は道場は夢のまた夢だったと思います。体育館の横、裏とどんどん追いやられた射場。そんな中やっとできたのがテント小屋の弓道場なのです。それも黄色と緑色のストライプのシート張り。まさにサーカス小屋の面持ちでした。
もちろん鉄骨組みのテントが北海道の積雪に絶えられるわけもなく、冬は惜しまれながらも閉鎖となり、もちろん取り外しは部員のお仕事。全員が一丸となり、地上数メートルの細い鉄筋の上に登り外すのですが、サーカスの綱渡りそのものに見えたとか…。
そんなこんなで札大弓道部の新メンバーとなったテントは、野立ちのときより確実に練習内容を充実させることに成功しました。
しかし、10年という時の流れは残酷です。天井のあちこちには穴があり、雨漏り。床はあちこちへこみ、安土にささっている矢には近所の猫が噛み付きぼろぼろに(猫との戦いはこのときからなんですね)…。テントの上げ下ろしは辛辣を極め、事故寸前。
そこで床がリニューアルして、少しだけ足踏みがしやすくなりました。だが翌年には床上浸水が発生。テントの破れは年々酷くなり、ついに限界を感じ始めました。
そこでやっと道場が変わりました。新しくテントが買いなおされたのです(素直に新築道場になれるほど、甘い札大ではありません)。しかもまた黄色と緑のストライプ。一味違うテントに心を打ちつつ、弓を引く部員たちでした。
ところが改築(?)の翌年、悲劇は突然起きました。札大の新入生募集要項のキャンパスの地図から「弓道場」という文字が消されてしまったのです。対外的に札大の弓道場というものは無いのか… と肩を落としつつ、拾い集めた材料で観的板を作ったそうです(残念ながら残っていません)。
その後も、試合直前に雨が降った際に放たれた「にわか雨だ」という名ゼリフ、道場がどこからか取り壊されるという黒い噂が流れました。
黒い噂の最高潮と言えば、真駒内の陸上自衛隊北部方面隊第五師団 第二空挺部隊勤務の○三等陸尉談「あれはゴジラの攻撃から札幌市外を守るためにある」。
そんな真実が定かではない話もあったそうですが、ついにストライプテントから開放される時が来ました。そう、道場が札大に立て直されることになったのです。

道場の歴史〜能の舞台編〜

さて、どのような過程で道場が建設されることになったのか説明しましょう。
その頃札大の学長が代わり、当時文化学部の学部長だった人が学長になりました。そしてどこからともなく黒い噂が流れ始めたのです。
「弓道場を取り壊してテニスコートにし、元々テニスコートがあった場所に能の舞台を建設する」
弓道部内での混乱を避けるため、一部の幹部しか詳しい話は知らないようでした。そしてこの噂に対する弓道部の答えというのは
「成績を出すしかない」ということ。
こうして男女とも1部リーグ昇格のため練習量が半端無く増え、授業も出ずに朝9時からずっと練習をしたり、試合が近くなると深夜2時まで練習することもあったようです。
結局リーグ昇格は叶わなかったものの、その当時弓道部には天才がいました。そのOBの方は全国大学オールスターともいえる東西対抗で20射皆中し、道内には敵なしでした。そしてその結果は北海道新聞に載り、弓道部への注目度は格段にアップしましたが、依然「能の舞台」の噂はあったのです。
しかし、転機は訪れました。
その当時札大の後援会の会長をされていた方が、建設会社の社長をしているおじいさんだったのですが、ある日突然その方に弓道部の幹部が呼び出されました。
「能の舞台」の噂によって大学側に不信感を抱き、身構えていた弓道部。しかし、おじいさんは意外なことを口にしたのです。
弓道場をつくる、と。そしてこのようなことを弓道部に言ったそうです。
「ぼくも今年度いっぱいで任期を終え、後援会長を辞めようと思っている。しかし、最後に札大の学生のために、なにかを残してあげたいと考えていた。
ある日渡り廊下を歩いていたら、小雨が降っているのにサーカス小屋みたいな小汚いテントで熱心に弓道の練習をしている学生の姿が目に入った。ぼくも若い頃にちょっとだけ弓道をしたことがあって、気になって大学の職員に話を聞いたら、ここ数年はとても頑張って全国でよい成績を残した学生もいると聞いた。
だから、頑張っている君たちのために、ぼくの最後の札大へのプレゼントは弓道場にしようと決めたんだ。」

弓道場の存続をめぐって成績を残そうと奮闘した結果、それ以上のものが返ってきたのです。
後援会の会長の一存で、弓道部の運命が大きく変わりました。

道場の歴史〜建設編〜

会長は、一級建築士に任せて道場を設計させることもできる。でも弓道場は特殊だから、使いやすい道場にしたいのなら君たちが図面を起こしてみたらどうかどうか、と打診しました。
弓道を知らない人に道場の設計を任せることに抵抗があったため、即答でした。「来週までに図面を書いてきます」。
それから一週間、道内の道場に出向き、寸法を測り、写真を撮り・・・とにかくできる限りのことをしました。出身高校の道場、地元の道場、北大や小樽商大、北星にも押しかけ、測る。
時には夜中にこっそりと測りに行った道場もあったようです。
そしてその数字を元に、更に本を読んで部員全員の持てる限りの知識とデータを総動員して徹夜で図面を書きました。

この道場のこだわりは三つ。
「八人立ちで座射ができること」「冬でも練習ができること」「正式な体配の練習ができる寸法を確保すること」

こうしてどこの弓道場とも違う、札大オリジナルの弓道場ができました。


とうとう完成した道場。ここにたどり着くのにあまりにも月日は流れました。
屋根つき、武者窓完備、給湯室、おまけに人が通るとセンサーで光る玄関ライト付です。総額3870万円をかけて建てられた道場は、今までのテントと比べると天国だったそうです。 (OB・OGの方々、本当にありがとうございました)弓への落雷の心配もなくなったわけですから、本当に素晴らしい進歩であったでしょう。
もちろん、素晴らしい話で終われる札大ではありません。


あったかい暖房のヒーター、こやつが曲者で一時間に2リットルも灯油を食べてくれます。天井が高く暖かい空気が上へ昇っていくので、ずっと寒いまま。おまけに大学は灯油代を出してくれません。たらふく灯油を食べさせると1万円くらいかかります。そして大学側が「え?冬も練習するつもりだったの?」と、意外なところで意思疎通がなされていなかったことが判明、練習する気満々の弓道部に大学はすばらしいプレゼントをくれました。除雪用のスノーダンプとスコップです。
あぁ、わざわざありがとうございます。除雪機とかじゃないんですね。
スノーダンプは一台しかまともに使用できないほど片っ端から壊れました。

ちなみに道場玄関の手すりのデザインは建築家の方が的と矢をイメージしてデザインをしてくれたそうです。




    札大弓道場の歴史