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札幌大学野球部について
【札幌大学野球部】
1967年6月、札幌大学開学から2か月後に野球部は創部しました。創部当初は専用の野球場もなく、雑草広場でのキャッチボールのみでの練習からスタートしました。
翌68年、全日本大学野球連盟に正式加盟、奥村博初代監督のもと「札幌大学野球部」が誕生しました。野球部が掲げるポリシー「気力・体力・知力を兼ね備えた野球」は奥村監督による部員へのメッセージでもあります。
1970年、北海道大会で初優勝を飾り全日本大学野球選手権ではベスト8進出を果たしています。以来、全日本大学野球選手権大会出場21回、明治神宮野球大会出場8回。いずれも最高成績はベスト4進出。50余年の歴史の中で北海道の大学野球史の一角を築きあげてきました。
現在は、札幌学生野球連盟(加盟18大学)に所属し、2023年度より上原哲朗が指揮を執っています。
[監督略歴]
上原 哲朗(うえはら てつお)
札幌光星-札幌大学(1973年卒)-電電北海道野球部(NTT北海道野球部)
札幌大学在学中は内野手として活躍。当部の全日本大学野球選手権初出場(第19回,1970年)、明治神宮野球大会初出場(第1回,1970年)に貢献。卒業後電電北海道野球部(NTT北海道野球部)では選手として10年間プレーし、74年には補強選手として大昭和製紙北海道の都市対抗野球優勝に貢献。引退後は、NTT北海道で監督を歴任しました。
2023年1月より監督就任。
2023 TEAM SLOGAN 這っても ずっても 一戦必勝
試合での勝負、一球一球に対する勝負、更には己との勝負。どんな勝負も一戦一戦、ひとつひとつ、諦めず、泥臭く、這いつくばってでも、転んでも立ち上がり絶対に勝ちに行く!勝ちにこだわる強い思いをスローガンに掲げ挑みます。
【社会貢献・地域貢献】
「私たちに出来る事」「私たちだから出来る事」として社会貢献、地域貢献活動に参加協力しています。具体例としては、献血活動に積極的に取り組んでいます。定期的に大学で行われる献血車での献血のほか、札幌市内の血液センターに向かい血小板献血にも協力しています。活動の継続が評価され、2014年度には日本赤十字社銀色有功章の団体表彰を受けました。
また、毎年本学を会場に行われる全道ちびっ子野球大会-札大旗争奪・全道ちびっ子ティーポール野球大会-(主催:札幌大学 後援:NPO法人札幌大学スポーツ文化総合型クラブ)の大会運営スタッフとして参加協力し、野球普及活動にも取り組んでいます。
【卒業後の進路】
野球部での活動を含む大学生活を通し、「考える力、判断する力、行動する力」を身に着け社会人として活きるちからを身に着けられるよう指導しております。挨拶や礼儀といったコミュニケーション能力はもちろんのこと、自己判断、問題解決能力を身に着け、社会の即戦力として卒業まで導きます。
OB・OGの社会での活躍もあり、地元北海道を中心に高い評価をいただき、就職率は毎年100%を維持しております。また、卒業後も競技継続を希望する者が増え、硬式、軟式それぞれ社会人チームで卒業生が活躍しています。
教員免許取得者が多いのも当部の特徴のひとつです。本学では高校(商業/情報/英語/保健体育/地歴公民/国語)、中学(英語/保健体育/社会/国語)、特別支援の免許が取得可能で、高校野球指導者として選抜大会、選手権大会出場を果たすOBも多数います。
>>過去5年分卒業生進路(PDF158KB.2022年4月更新)
【基本データ】
創部 |
1967年 |
札幌六大学野球
優勝回数 |
21回(春13回、秋8回) |
旧北海道地区連盟 (1976年秋季〜90年春季)
優勝回数 |
11回(春3回、秋8回) |
全日本大学選手権
出場回数 |
21回 ベスト4 1回(1974年) ベスト8 6回(1970,72,75,87,89,2003年) |
明治神宮大会
出場回数 |
8回 ベスト4 2回(1977,86年) |
歴代監督 |
初 代 奥村 博(1967〜1973年) 第2代 長浜 雅利(1974〜1979年) 第3代 奥村 博(2期目,1980〜1984年) 第4代 丹野 悟(1985〜2003年) 第5代 猪原 義幸(2004〜2006年) 第6代 高石 克美(2007〜2017年) 第7代 野坂 寿利(2018年〜2022年) 第8代 上原 哲朗(2023年〜) |
部員数 |
123人 (2023年4月1日現在) |
練習場 |
札幌大学野球場(札幌大学キャンパス内) |
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